『月信』1月号
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4解できるように思うのです。これこそが「職業奉仕」にほかならず、ロータリアンの一人ひとりが自己研鑽と向上に努め、その結果、それぞれの職業活動が適正になされれば、ロータリーが多様な職業を網羅する結果、社会経済全体に自ずと調和と発展がもたらされると考えることになるのでしょう。 このようにロータリーが近代的経済社会の理想をそのまま反映しているとすれば、ロータリーの倫理も、近代的な市場経済のルールとそのプレーヤーとしての倫理の自覚であると言い換えることができます。また、近代的経済には常に市場原理が働きます。つまり、役務の提供(Service)とこれに対する対価の均衡原理が働くので、職業として提供する役務は社会に適正な付加価値を与えるものであるかどうかが常に問われなくてはならないことになるでしょうし、「4つのテスト」や「利他即自利」という考え方も、そのプレーヤーとしての心得をテストする指標であると理解すれば足りるように思えるのです。 また、こうしたロータリーの倫理が違和感なく浸透した背景には、アメリカ合衆国の中産階級(WASP)の中に宿るプロテスタントの精神や天職思想の影響を想定できるように思います(マックス・ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」/ロータリー情報ハンドブック改訂第3版485㌻)。公益に対して無償の貢献活動を行ってきました。これらが一体となってグラスルーツで結びつく強靭な共同社会の基盤となってきたことを決して忘れてはならないでしょう。個人奉仕・職業奉仕、例会中心主義の中に頑なに閉じこもるとすれば、「決議23-34」を引き合いに出すまでもなく、ロータリーの本義に適うものとは言えなくなるように思います。ここはそれぞれにお考えのあることでしょう。ロータリーは個人本位、民主主義の団体です。皆さまがそれぞれに考えてみてください。(補遺) 職業奉仕に興味を持たれた方、もっと踏み込んだ文献を読みたいと思われた方は、「ロータリー日本100年史/ロータリーの本棚(ロータリー日本100年史編纂委員会)」を参照されることをお勧めします。日本を代表するロータリアン論客8名の職業奉仕に関する論稿が170ページ余りにわたって掲載されており、読み応え十分です。社会奉仕・団体奉仕との調和と両立 その一方で、個人であれ、団体であれ、社会や公益に対する無償の貢献にはそれぞれに価値があることは言うまでもありません。近代的「公衆」は、その余力の範囲で、ときには余力の範囲を大きく超えても社会やむすび さて、いろいろと書いてきましたが、何やら社会科の授業のような様相を呈してきました。はじめに申しましたとおり、これは多分に私見が混じります。誤りを恐れずに単純化している部分も多いので、多少の粗があってもお目こぼしいただかなくてはなりません。新年早々恐縮ですが、皆様の寛容の精神に大いに期待しております。 それでは、本年もどうぞ宜しくお願いいたします。

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