「福岡東ロータリークラブ40年のあゆみ」
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93入会歴8年目の浅学菲才の私が、第38代目会長をよくぞお引き受けしたものだと今でもサプライズの気持ちであります。中脩治郎会長の時、幹事の大役を引き受けさせて頂き、数多くの勉強をさせて頂きました。そのことが会長を引き受けるきっかけとなりました。お陰様で1年間春日幹事のご尽力と多くの皆様方のご支援とご協力を賜りまして、スムーズなクラブ運営が出来たものと思っております。私自身、事業をスタートしまして2年目に入ったばかりのまだまだ軌道に乗れていない時期にあり、その上家内が運悪くガンの手術をいたしまして、会社と病院そしてロータリーのかけもちで、まさに艱難辛苦の連続でありました。これも天が下された私に対する人生の試練であり、かつ使命であると受け止めて、常に明るく前向きに取り組み、何とか無事にこのハードルを乗り越えることができました。4年前の長くて凝縮された1年間が脳裏に鮮明に蘇ります。沢山の思い出がありますが、2つのことを述べさせて頂きます。①事務所移転…ある日突然ホテル日航福岡より、ホテル6階の事務所を出てほしいと言われ大変困惑しました。すぐに近くの物件を不動産業者にお願いしながら、ホテル側とも幾度となく交渉を重ね、太田会長・社長のご了解を取り付けて現在の住所に落ちつきました。②ガバナー補佐の選出…第4グループには9クラブがありますが、対馬ロータリークラブは会員数が少ないので除外し、ガバナー補佐は実質8クラブでの持ち回りのため8年に1回順番が回ってきます。地区より8月に話が出て9月までに決めて欲しい旨の要請があり、急遽歴代会長9名の皆様にお願いいたしましたが残念ながらお引き受け頂けず、時間は経過するばかりで、ついに恥ずべき重大な決断をせざるを得なくなり、松本ガバナーへお断りのお手紙を出しました。しかし再度強力な要請があり、手詰まりの状況の中、非常に困りはてましたが、再度9名の歴代会長へお一人お一人にお願いに回り、難行苦行の連続の末、10月に中洲の料亭で松本(守)、久家、和田会員と私で、安恒会員に三顧の礼を尽くし、ガバナー補佐をお引き受け頂き、安恒ガバナー補佐の誕生となりました。私も当時の会長を辞する覚悟でお願いいたしておりましたので、お引き受け頂いた時は感極まって号泣いたしまして、皆さんも大変喜ばれた感動のシーンを思い出します。そして難産の末に誕生した安恒ガバナー補佐の大仕事が翌年のインターシティ・ミーティングでした。全会員の心がひとつになり大成功を収めることに繋がったものと思っております。結びに、多くの先輩諸氏が営々として築いてこられた福岡東ロータリークラブ40年の歴史と伝統を畏敬の念をもってよく理解し、その意志を受け継ぎながら新しい会員、あたらしい血を入れて、思いやりと寛容の心、そしてファミリー的な親しみを深めることが一番大切なことだと思います。ありがとうございます。感謝、感謝!!2007~2008年度会長 森光 繁喜歴代会長が語る思い出

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